アツミマサズミさん 外苑前再開発と森利権

(発言予定稿)

神宮外苑はどんな場所でしょう。東京都渋谷区、新宿区、港区の3区にまたがっており、千駄ヶ谷、信濃町、国立競技場、外苑前の4駅利用可と交通の便が良い一等地です。

神宮外苑は明治天皇と昭憲皇太后の業績を広く伝えるという目的で、全国からの寄付や勤労奉仕によって開発されました。

このような歴史的経過から風致地区や文教地区、都市計画公園など様々な法的な規制がありました。

これらの法的規制を突破する口実として使われたのが、新国立競技場の建設であり、オリンピックです。その際に森嘉朗氏は深く関与しています。

開催決定の2019年ワールドカップラグビーと2020年東京オリンピック招致を目的として国立競技場の将来を議論するため国立競技場将来構想有識者会議が2012年1月31日に設置されます。

委員は14人以内です。この委員の中に森嘉朗氏もいます。

この国立競技場将来構想有識者会議の第1回会議は2012年3月6日に開催され森氏も出席しています。この会議でJSC理事長の河野一郎氏が口火をきりました。

規模については、8万人規模をスタートラインに。参考資料の『国立霞ヶ丘競技場八万人規模ナショナルスタジアムへの再整備に向けて(決議)』を見ていただきたい。これが公にされている最近のものであり、これを根拠としたい。と。

河野理事長が公のものと発言した決議はどこが出した物でしょう。ラクビーワールドカップ2019日本大会成功議員連盟が2011年2月15日に決議したものです。

この決議の末尾は以下の通りです。

国立霞ヶ丘競技場を八万人規模のナショナルスタジアムとするなど、明治神宮外苑地区の都市計画や周辺環境整備を含め早急に検討を行い、一帯のスポーツ施設を再整備すべきである。と。

2011年2月15日の時点で都市計画の検討を行い、スポーツ施設の再整備が予定されていました。しかしながら議員連盟の決議であり閣議決定ですらないものです。これがなぜ公のものになるのでしょう。資料には国会ラクビークラブ顧問として森嘉朗氏の名前が記載されています。ここにも森嘉朗氏が関わっているわけです。

オリンピックの状況はIOCに申請ファイルが提出されたのが2012年2月12日ですから、約1年前から神宮外苑地区の再開発の計画が考えられていました。

オリンピックの招致が失敗したら、神宮外苑の再開発はどうなるか。そのことについてやりとりした資料があります。2012年5月15日「神宮外苑の再整備」という資料です。

東京都の佐藤副知事と安井技官と森嘉朗氏が衆議院第2議員会館301号室で会談をしています。

森氏の発言です。不吉なことを言うようで悪いけど、もしこっち(オリンピック招致)が×になったらどうする?

これに対し佐藤副知事は以下のように答えます。神宮外苑全体の再整備は進める。

そして安井技官もこのように言います。都市計画変更の調整は全体の再整備を前提に進める。

これを受けて森嘉朗氏は以下のように言います。すばらしいよ。あと15年は長生きしないと。と。

先ほども言いましたが、オリンピック開催都市に東京都が選ばれたのは2013年9月8日です。オリンピック開催都市に決定する前から神宮外苑地区再開発計画があり、オリンピック開催都市に東京都が選ばれなくても神宮外苑地区再開発計画を進めることが東京都副知事の口から言及されていた。そして神宮外苑地区の地区計画変更が決定したのは2013年6月17日です。

オリンピック開催都市に東京都が選ばれる前から、神宮外苑地区の再開発計画があり、オリンピック開催都市に選ばれる前に、神宮外苑地区再開発計画が決定した。この事実は忘れてはならない。と私は思います。

その結果、どうなったでしょうか。JSCの新国立競技場建設予定となった都立明治公園は2016年1月27日から2022年3月31日まで、約6年間東京都とJSCの間でタダで貸し付けられていました。

オリンピック・パラリンピックが終わったら新国立競技場を壊して東京都に返還されるのかと思ったら、2022年4月1日から2084年11月30日まで62年8ヶ月もの間年間8億2200万円で貸す定期借地権設定契約が東京都とJSCの間で結ばれています。

JSCスポーツオリンピックスクエアが建設されているこの場所は2013年の神宮外苑地区地区計画変更で、公園でなくなりました。そのことによって公園に付随する建物以外のものを建ててはダメだという縛りがなくなりました。その後の2016年の地区計画の区域変更を経て、都立代々木公園の土地区画整備事業に伴う代替地として77億834万6694円払ってJOCは東京都から買っています。

スポーツ団体であるJSCもJOCも神宮外苑地区再開発で損をしていません。この影で泣かされたのは都民です。その典型例が隣にあった都立霞ヶ丘アパートであり、新宿区霞ヶ丘町住民です。

新宿区霞ヶ丘町は2022年10月1日付の住民基本台帳では1世帯男性1名しか住んでません。都立霞ヶ丘アパートへの最初の住民説明会の2012年8月時点で霞ヶ丘町は242世帯、417人が住んでいました。「移転説明会開催のお知らせ」が出された2015年4月の時点で霞ヶ丘町は147世帯、230人となります。少しづつ減っていた霞ヶ丘町住民が大きく減るのは2016年1月から2016年2月にかけてです。2016年1月には124世帯、200人いた霞ヶ丘町の住民が1ヶ月後の2016年2月には30世帯、42人まで減ります。これは移転先住居の使用許可が平成28年1月とされていたことによる駆け込みの引っ越しによるものと推測されます。

このことから新宿区霞ヶ丘町住民の大半は都立霞ヶ丘アパート住民であり、都立霞ヶ丘アパート住民の多くは最後まで霞ヶ丘町に住むことを選択した様子が窺えます。この住民の思いを破壊したのは何か。

JSCやJOC。スポーツ団体は関係ないと言えますか。

最後に、オリンピックは巨大なスポーツ施設建設がつきものでその裏には都立霞ヶ丘アパート住民のような悲劇が生まれます。その影で利益を得てほくそ笑む部分がいる。このことを忘れないように伝える。これが私たちにとってのレガシーだと思います。ご静聴ありがとうございました。