東京オリンピックおことわり宣言

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 巷では、東京オリンピックの会場問題をめぐる小池都知事とJOC、組織委員会の三つ巴の争いが連日のようにテレビ画面を賑わせている。確かに総経費2,3兆円という資金がたった2週間開催されるオリンピック・パラリンピックに投じられることは大問題だ。

 しかし、この議論はオリンピックにまつわる他の問題を巧妙に隠蔽する効果を持っている。もともとオリンピックというメガ・イベントは社会の様々な矛盾を隠蔽するための装置として機能してきたが、昨今の論争はその傾向に一層拍車をかけるものとなっているのだ。

 私たちは、東京オリンピックを「祝祭」ではなく「災害」として捉えかえしてみた。起点は安倍首相の「Under Control」発言であった。まさにこの発言が東京オリンピックを象徴していると言えるだろう。東京オリンピックが私たちにもたらすものは私たちの日常生活に対する「災害」であるという視点。

 近代オリンピックは常に居住者の生活を破壊し、追い出し、そして自然を破壊しながら新規施設やインフラを構築してきた。昨夏のリオでは強制排除された市民は7万7千人を超え、荒らされた原生植物繁茂地は97万㎡。東京でも新国立競技場建設による都営霞ヶ丘アパート300世帯の立ち退き、明治公園における野宿者強制排除と日体協・JOCビル建設のための公園廃止など現住者の生活権を剥奪する暴挙が行われている。まさしくそれは「オリンピック災害」だ!

 一方、臨時国会では上程されなかったが、東京オリンピックにおける「テロ対策」を大義名分とした共謀罪が登場しようとしている。私たちのこうした集会や会議でさえ数多くの公安刑事が監視の目を光らせている。何でも「テロ対策」と言えばまかり通るとでも思っているかのごとくだ。多くの「反オリンピック」を抑え込む市民監視が精緻化されようとしている。これも「オリンピック災害」だ!

 教育現場においても「オリンピック読本」や「学習ノート」などが都教委からばらまかれ、年間35時間の関連授業を強制されている。すでに「オリンピックは嫌だ」という声を上げられない雰囲気作りが進められつつある。オリンピック会場への生徒・児童の動員体制も強制されそうだ。これも子どもに対する「オリンピック災害」だ!

 こうした「オリンピック災害」はほんの一部であり、様々なジャンルの「災害」がこれからますます顕在化してくるだろう。

 本日の集会をもって私たちは「オリンピック災害」に対して「お・こ・と・わ・り」を宣言する運動を開始する。私たちはいまは身の回りに多くの「東京オリンピックおことわり」宣言(者)を見出すことができないかもしれない。

 しかし、3年半をかけて様々な場面や位相で「オリンピック災害おことわり」が交差するしなやかでかろやかな運動を展開していくことで、「おもてなし」を凌駕する「おことわり」を目指す。時には「オリンピック・スポーツ大好き」という人たちをも交えたディスカッションを通して「オリンピック災害」の意味の共有化への努力を惜しまない。

リオ(2016年夏)からピョンチャン(2018年冬)、東京(2020年夏)、そして北京(2022年冬)とオリンピック開催に対する市民による反対運動が存在し、私たちの運動もその連関の中にある。いまや世界的に見れば近代オリンピックは市民から支持されてきたとは言い難く、私たちはオリンピック反対の国際的連帯のつながりを大切にしていきたい。

私たちは決して孤立していない。多くの未だ見ぬ「おことわり宣言者」との出会いを求めて私たちは本日自らの「おことわり」を高らかに宣言する!「東京オリンピックなんていらない」と。

2017年1月22日 オリンピック災害おことわり!集会参加者一同