東京オリンピックおことわり宣言(第二宣言)

私たちは、おことわり連絡会の設立にあたって公表した宣言に続いて、2018年7月22日に下記の宣言を新たに出しました。(英訳はこちらを)

東京オリンピックおことわり宣言(第二宣言)

東京オリンピック・パラリンピックまで、いよいよ2年となった。一カ月ほどのスポーツ・イベントに総額3兆円を超えるとも言われる巨額な費用が投入される。その内訳は不透明で、青天井だとも言われる。 「復興五輪」と命名されながら、福島原発災害に対する真の復興には背を向けていると考えざるをえないカネの使い方だ。

新国立競技場建設も無理な日程で進められている中で、ついに死者が出るまでに至った。カヌー競技においてはオリンピック出場を巡って競争相手に薬物を盛るというオリンピックの勝利至上主義を象徴する事件も起こった。

このようにオリンピック・パラリンピックは様々な問題を引き起こしているにもかかわらず、その存在に対して「NO」と言えない雰囲気がつくられ、さまざまな社会問題をスポーツ・イベントという「祝祭」で覆い隠す。

私たちは、東京オリンピックを「祝祭」ではなく「災害」として捉えかえしてみた。起点は安倍首相の「Under Control」発言であった。まさにこの発言が東京オリンピックを象徴していると言えるだろう。東京オリンピックが私たちにもたらすものは私たちの日常生活に対する「災害」であるという視点だ。

近代オリンピックは常に居住者の生活を破壊し、追い出し、そして自然を破壊しながら新規施設やインフラを構築してきた。昨夏のリオでは強制排除された市民は7万7千人を超え、荒らされた原生植物繁茂地は97万㎡。東京でも新国立競技場建設による都営霞ヶ丘アパート300世帯の立ち退き、明治公園における野宿者強制排除と日体協・JOCビル建設のための公園廃止など現住者の生活権を剥奪する暴挙が行われている。

まさしくそれは「オリンピック災害」だ!  昨年6月には、東京オリンピックにおける「テロ対策」を大義名分として「共謀罪」が国会で強行可決・成立した。オリンピックに反対する活動や言論は、数多くの公安警察の監視の対象となる。「テロ対策」と言えば何でもまかり通るとでも思っているかのごとくだ。多くの「反オリンピック」を抑え込む市民監視が精緻化されようとしている。

これも「オリンピック災害」だ!  教育現場においても「オリンピック読本」や「学習ノート」などが都教委からばらまかれ、年間35時間の関連授業を強制されている。すでに「オリンピックは嫌だ」という声を上げられない雰囲気作りが進められつつある。オリンピック会場への生徒・児童の動員体制も強制されそうだ。

これも子どもに対する「オリンピック災害」だ!  こうした「オリンピック災害」はほんの一部であり、様々なジャンルの「災害」がこれからますます顕在化してくるだろう。  私たちは昨年1月に「オリンピック災害」に対して「お・こ・と・わ・り」を宣言する運動を開始した。思いの外、「オリンピックおことわり」と考えている人は多いが、それを可視化、社会化する必要がある。

これから2年をかけて様々な場面や位相で「オリンピック災害おことわり」が交差する、しなやかで軽やかな運動を展開していくことで、「おもてなし」を凌駕する「おことわり」を目指す。「オリンピック・スポーツ大好き」という人たちをも交えたディスカッションを通して「オリンピック災害」の意味の共有化も目指したい。

リオ(2016年夏)からピョンチャン(2018年冬)、東京(2020年夏)、そして北京(2022年冬)と、オリンピック開催に対する市民による反対運動が存在し、私たちの運動もその連関の中にある。いまや世界的に見れば、近代オリンピックは市民から支持されてきたとは言い難く、私たちはオリンピック反対の国際的連帯のつながりを大切にしていきたい。

私たちは決して孤立していない。未だ見ぬ多くの「おことわり」の人々との出会いを求めて、私たちは東京オリンピックを2年前に控え、東京オリンピック返上を求める自らの「おことわり」を高らかに宣言する。 東京オリンピックなんていらない!

2018年7月22日